ジニスコーヒー誕生秘話 #2
1997年、今から23年前。ペリは、国費留学生として矯正歯科を学ぶために初来日しました。日本の秩序正しさと治安の良さに感動した彼。「こんな社会があるんだ!」と目からウロコの連続だったそうです。
同じ1997年、夏。私は、日本語教師としてブラジルへ渡りました。ブラジルは日本の27倍もある大国ということを忘れ、体験すること全てを「ブラジルって○○○なんだ!」と思い込んでいました。例えば、シャワー。私が住んでいたところはお湯が出なかったんです。「ブラジルって、シャワーからお湯が出ないんだ…」と信じていました。また、ポルトガル語を全く知らずにブラジルへ渡った私は、いつもペンとノートを持ち歩き、絵を描いたりやジェスチャーをしたりしながらコミュニケーションをとっていました。そして、耳で聞いたポルトガル語をスポンジのように吸収しました。後で知ったのですが、私が覚えたポルトガル語は、東北弁なまりのポルトガル語だったようです。
さて、行き違いになっていた私とペリですが、1998年に鹿児島で出会いました。当時ペリは私のことを「東北なまりのポルトガル語を話す面白い日本人」だと思ったそうです。
2002年3月、ペリの国費留学の期間が終わるのを機に、結婚してブラジルへ移住することを決めました。結婚式の1週間後、ペリはブラジルへ帰国。私も一緒に行きたかったのですが、VISAの許可が下りず、泣く泣く“遠距離新婚生活”をスタートしました。日本に残った私は、着物の着付教室や茶道教室・日本語学校へ通う日々。
そして、結婚式から9か月後、2002年秋。やっとVISAがおり、いざブラジルへ!
一生暮らす覚悟でブラジルへ着いた私に、なんとペリは「日本へ帰ろう!」と言うんです。もう、ビックリ!
そして私たちは8年後に日本へ帰ることになるのですが…
8年間のブラジル生活。そして、コーヒーとの出会い。 続きは次回お伝えしたいと思います。
今回の写真:
結婚式での一枚。結婚式のアルバムはブラジルに置いたままなので、手元にある貴重な一枚です。
このブログを書きながらペリに尋ねてみました。「この写真の時、どんな未来を描いてた?」すると彼は「ブラジルで歯科矯正のクリニックを経営しながら、大学で学生たちに教える。そんな人生を考えていたよ」と話してくれました。私が結婚当時描いていた未来は…というと、ただただブラジルで始まるペリとの新生活に胸を躍らせていました。「専業主婦としてペリをサポートしたいな~。ポルトガル語が上達して、チャンスがあれば、日本語を教えてみたいな~」と漠然と考えていました。まさか、夫婦でコーヒーショップをするなんて、この写真の私たちは夢にも思っていませんでした。