ジニスコーヒー誕生秘話 #5
”ペリが35歳になるまでに日本へ戻る”という期限も設け、もし期限を過ぎたら、ブラジルで人生を楽しもう!と約束した私とペリ。日本へ戻る方法を模索しながら、あっという間に1年が過ぎました。
コーヒーショップが好きだった私たち夫婦の平日は、ランチ後カフェでコーヒーとおしゃべりを楽しみ、その後お互いの職場へ戻っていくというのが日課になっていました。
週末は、友人たちとコーヒーショップで夕暮れの時間を過ごしたり、友人宅に集まってコーヒーやワインと共におしゃべりを楽しんだり。
そして、好きが高じて、1000キロ離れたサンパウロまで夫婦でコーヒーの勉強へ行き始めました。
コーヒー鑑定家のコース、バリスタのコース、スペシャルティコーヒーに特化したコースなど。
日本へ戻る方法を模索していた私たちは、この頃から「日本でコーヒービジネスを始めたら…」と考え始めました。
焙煎について学ぶために夫婦で1カ月の休みを取った時、日系2世のカサイさんと出会いました。
銀行を脱サラし家族と共にコーヒービジネスを始めたカサイさんは、コーヒーへ愛情が素晴らしく深く、熱意と誠意に溢れた方でした。すぐに意気投合した私たちは、1000キロ離れたコーヒー栽培が盛んな地へ一緒に旅をすることにし、いくつもの農園を巡りました。カサイさんと彼の家族を見ているうちに、自分たちもこんな生き方をしたいと強く思うようになり、日本でコーヒービジネスを始めることを決心したのです。
その後は、仕事が休みの週末に300キロ離れたカサイさんの工房へ通い、学び続けました。
当時、矯正歯科クリニックの院長そして大学教員という二足のわらじを履いていたペリは、時間ができるとコーヒーに関する論文を探し読んでいました。歯学部と医学部の学生に組織学を教えていたペリは、コーヒー豆も同様に細胞レベルで考えていたため、焙煎時にコーヒー豆で起こる変化に関してとても興味を持っていたのです。細胞内でどのような化学変化があるか知り、豆の美味しさを引き出すためにどうすれば良いか…いつもカサイさん家族と話していました。
そんなわけで、コーヒービジネスを日本で始めることを決意した私達。
有難いことに、100名以上の生徒に恵まれていた日本語学校は、JICAボランティアの方の協力をいただけることになり、私がひと足早く日本へ行き、コーヒー豆のアピール活動を始めることにしました。
夫婦でコーヒービジネスを始められる!と大きな希望を胸に、一人何のツテもなく日本へ戻った私。
ペリは、一年後に日本へ来ることになるのですが…
続きは、次回へ。
今回の写真:
友人宅で仲間と過ごす週末。写真はチョコレート・フォンデュ。